- 今回もやります!!特別コラム企画回
「11月の第4木曜日はアメリカで感謝祭らしいですよ!」
〜アメリカン・さんくすぎびんぐでー:パート2〜
(今回は、感謝祭にまつわる伝説の話)
いやぁ・・。
ほんと、我々日本人には、ほとんど全くかんけーない「感謝祭」・・。
別にね、テン子さんは広げたいと思っているわけではないのですよ・・。
ただ、あるサイトに通ってたら・・お告げ???が聞こえてきましてね。
感謝祭のお料理に興味を持ったとか、ぱーてーとかそういうのは・・ありますが、何かに興味を持つというのには、動機というものが発生するものですから。
一番の動機は、あくまで、某サイトからのお告げです!!
それはともかく・・。
感謝祭というのは、実は、アメリカ大陸に渡ったイギリス人と、そこに住んでいた先住民(インディアン)たちとの、絆がもとになっていた・・というのが一般的な、伝説のようです。
ちょっくらその伝説の話してみますと・・。
1620年、イギリスからアメリカに渡ってきたピルグリムと呼ばれる人たちがいたそうです。
彼らは、自由をアメリカという新天地に求めやってきたようですが、しかし期待していたのとは違って、非常に過酷な冬が待ち受けていました。
そこの土地では、彼らの持っていた農耕技術や、知識が通用しなかったのです。
その結果食量不足や、厳しい寒さで、餓死者が大勢出ます。
しかし、近隣に住んでいた、先住民たちが、その土地での作物の栽培方法など生きていく知恵をピルグリムの人々に授け、そして、翌年の秋には、大豊作の年となり冬を無事に乗り切ることができました。
ピルグリムの人々は、先住民たちに感謝し、神に感謝するという意味で、先住民たちを招いて、ご馳走でお祝いをしました。
・・これが、感謝祭の始まりの伝説、として広く知られている話だそうです。
しかしね、・・実はテン子さん、気になる文面を見つけまして、この話、どこまでが真実かっていうことに疑問があるんですよね。
1620年ごろ、ピルグリムの人々がアメリカ大陸に来た時には、先住民たちの9割が病気の蔓延により死亡していた・・という、文章を見つけまして・・。
うーん・・。
やはり、伝説なのでしょうか・・。
なんせ、テン子さん英文が、ほとんど理解できない・・。
興味持った方、英文でこういう記事探して日本語訳でネットに出してみませんか?
まあ、それはともかく・・。
そのピルグリムと先住民たちとの絆の話から、しばらくの間は、「感謝祭」という行事忘れ去られていたようです。
しかし、それを復活させたのが、アメリカ大統領リンカーンでした。
彼は、南北戦争後、アメリカ合衆国を一つにし、アメリカ国民に団結力を持たせるために、「感謝祭」を国民の休日としたそうです。
でも、もともと住んでいた先住民の人たちにとっては、やはり、忘れることのできない痛ましい記憶として残るのではないでしょうか・・。
そして、現代のアメリカ国民の彼らもまた、複雑な気持ちがあると思いますが・・。
「感謝祭」というのは、ただのお祭りとして語っていいものでは、ないのかもしれません。
民族間の問題や、戦争の傷跡というのがどれほど、後世の人々を苦しめるのか・・。
やはり、戦争というのは、したくないですね。
まあ、でも・・アメリカの人たちにとっては、「感謝祭」というのは国民の休日として楽しく過ごしてるみたいです。
そういうわけで、次回「パート3:アメリカの人たちの感謝祭の過ごし方」です!
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