- 2月3日 節分ですね。
2月3日(もしくは4日)は、節分です。
鬼のお面をかぶり、豆まきをする日。
「鬼は外、福は内」といいながら、鬼を家から遠ざける。
みなさんちゃんと、やってますかね、「豆まき」。
豆まきのあとは、豆を食べるのです。
最近では、・・ここ数年の間?
願い事をしながら、恵方巻きにかぶりつくと縁起が良いとされて、風習化しつつある・・。
いろいろあります。
今回もせっかくですので、2月3日節分にちなんだ行事を調べてみました。
■節分といえば・・。■
みなさんは、節分といえば「豆まきをする日」というイメージが強いかと思いますが、ちゃんとね、「節分」ていうのは、「節」の「分かれ目」・・つまり、「季節の分かれ目」を指しているのです。
春・夏・秋・冬それぞれ季節には、節目があり、そして「立春」「立夏」「立秋」「立冬」がその季節の始まりの日とされています。
その季節の始まりの日の前日を「節分」というのですね。
年に4回ある「節分」。
特に2月3日の節分は、旧歴では(昔使っていた暦だと思っていただければいいかと・・)、立春の頃を一年の初めとされとても重要とされていました。
と、いうことは、立春は新年のことを指し、この2月3日の節分は、季節の始まりの日の前日のことですから、大晦日を指すことになります。
なので、現在でも地方によっては節分のことを「年越し」といっているところもあるみたいです。
それほど、「節分」というのは、重要な日とされてきたわけですが・・。
■節分行事はいつごろからあるのかな・・?■
節分・・。
やっぱりずっと古くから存在します。
もともとは、中国の大儺がもとになっているそうで、恐ろしい顔の面をかぶった呪師が鬼をはらう行事だそうです。
この儀式は、追儺(ついな)とよばれ、朝廷で寒中行事として、邪気のお祓いが大晦日に行われていました。
そして、節分に「豆まきで鬼を追い払う」ということがされるようになったのが室町時代。
ここから次第に庶民の間に「節分には豆まきをする・・」として広まっていくのです。
今のような節分に飾る、ひいらぎの葉や、豆を年の数だけ食べるといった習わしができてきたのが江戸時代・・。
江戸末期には、太巻き(恵方巻きという呼び名は、最近そういう名称でよばれるようになったらしいのですが・・)を食べて、ゲン担ぎをする・・行事が生まれました。
こういうふうに徐々に節分が、形作られていったってわけですよ。
江戸時代というのは、文化の転換期でもあるのかもしれませんな・・。
大晦日の行事にしろ、新年の行事にしろ、こういったものがちゃんとした形として庶民の間で作られていったのは、江戸時代・・。
身分制度はあるけど、庶民が本当に落ち着いて生活していたのもこの時代ですもんね・・。
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