ひな祭り(桃の節句は邪気払い?)




         



      ええ。みなさん。3月3日はひな祭り。


      テン子さんたちも「ぱーてー」やりますよ。


      ひな祭りは年に一度の女の子のための日です!

      ひな人形を飾ったりしますね。


      ガールズ達はめ―いっぱいのオシャレをして、ごちそうを食べて、ひな祭りの歌でも歌いますかね。


      まあね、テン子さんたちはちゃんと人形飾って、ちらし寿司作りましたよね。

      (世の中便利になったよね。ちらし寿司のもとなんてものがあるからね・・。簡単ぽん!だったよ。)

      みなさんもね、楽しいひな祭りぱーてーね、やっていただいて・・。


      ではね、ひな祭りコラムそろそろ入りますかね。


      おひな祭り(桃の節句)・・。


      みなさんのイメージって、たぶん、ひな人形飾ってご馳走食べたり、ね。

      歌うたったり・・する?

      ゲームとかトランプとかね、花札とか、モノポリー・・?


      でもね、もともとはそういうお祭り的な目的じゃなく、むしろ、厄払いのための日として日本に入ってきたんですよ・・知ってました?


      まあね、いろいろあるんですよ。

      日本のお節句行事ね、中国から入ってくるのでね、日本で定着するまでに「うよきょくせつ」?


      あーなってこーなって、現在に至る・・みたいな。


      まずは、みなさん、とても気になっているかと思いますのでね、「ひな祭り」の歴史なんかの説明といきましょうかね。


      感の良い人は、今までのお節句コラムの流れから、もしかしたら、江戸時代ごろに根付いたって思うかもしれません。


      ・・・。


      ばっちり正解です!!!


      やはりね、江戸時代ですよ、みなさん。

      お正月、豆まき、そして、3月3日の「ひな祭り」、日本のお節句行事がかたちどられたのはね、え・ど・じ・だ・い。

      これらの行事は江戸文化といってもいいかもしれませんね。

      しかし、ここに至るまでにも長い道のりがあるのです。


      これも、江戸時代が天下太平の世を象徴してるってことですね。


      ではね、そもそも「ひな祭り」とは、何なのか?


      女の子の成長を祝う日をして庶民の間に広まり始めたのは江戸時代ですが・・。


      それ以前のルーツをねちょっとお話しませう!!!



      ≪ひな祭りのルーツ〜平安貴族たちの遊び〜≫



      「ひな祭り」。

      中国にもともとあった、厄払いの儀式が遣唐使によって日本に持ち帰られたことが始まりとされます。


      中国では、古くから、3月の最初の巳の日(上巳)に水辺に盃を浮かべ、それを流して、自分の前に流れ着くまでに詩を読み上げる(「曲水の宴」といいますが)を行うという風習が行われていました。


      中国では節句・・つまり、季節の変わり目は、邪気や、災いがもたらされる、と考えられていたので、3月の節句(上巳)に「曲水の宴」を行ったり、自分の身体を洗い清めるといった儀式を行って邪気払いをしていたのです。


      それが奈良時代、遣唐使によって、日本に伝えられます。

      はじめの頃は、天皇のために行われた、お祓いの儀式だったのですが、平安時代には宮中行事へと変わっていきました。

      貴族たちは、三月の「上巳の日」に厄払いとして「曲水の宴」を行ったり、紙や、土で作った人形(ひとがた)に自分たちについている穢れを移し、川や海に流したのです。


      日本の各地で、今も残っている「流し雛」はこの儀式が始まりといわれています。


      平安貴族の女性たちは人形や、小型の調度品(嫁入り道具のミニチュア版)などを並べて人形遊びをしていました。

      この人形遊びが『雛遊び』として、今度は子どもの間に広まっていきました。


      そして平安貴族の女の子たちは人形を使った「ままごと遊び」をするようになります。


      この平安貴族たちの行なったお祓いの儀式と、「雛遊び」が合わさったものが、今のおひな祭りの原型といわれています。




      ≪ひな祭りのルーツ〜江戸時代から現在に至る〜≫


      平安時代に紙や土で作った人形を川や海に流していた風習は、室町時代頃になると、人形は家の中に飾られるようになります。


      そして、江戸時代。

      貴族たちの遊びが、「桃の節句」・・つまり、「おひな祭り」として一般庶民の間に広まります。


      最初の頃は、紙の人形にびょうぶなどを立て懸け、白酒や菱餅を飾るというシンプルなものだったようです。


      しかし、江戸時代、町民たちの間に広まるとひな飾りがどんどん増えていきます。

      内裏雛、三人官女、五人囃子といった人形が作られるようになり、道具類が飾られていったのです。


      また、「桃の節句」はもともと女の子のためのお祭りではありませんでした。

      それが、徳川幕府によって五節句の一つ「上巳の節句」として定められたことをきっかけに三月三日は女の子の節句として定着し、それに対して、五節句の一つの「端午の節句」を男の子の日として祝われるようになったのです。

      そして、現在みなさんがよく?イメージなさってるお雛様の形になっていった手わけです。


      大ざっぱですが、こういうルーツです。


      なんやかんやで、江戸時代に確立した文化なんですね、「ひな祭り」も。








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    2015年3月1日